自衛隊カンボジア派遣時の宿営地はこんなところ

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 1992年(平成4年)、日本の自衛隊は初めてのPKOとしてカンボジアに派遣されました。詳細な活動内容についてはWikipedia先生内閣府の紹介ページに譲るとして、今回はその時の宿営地に行ってきたのでレポートします。


 どこにあるの?

タケオ州の州都、タケオ市にあります。タケオ市までの行き方はこちら
 中央市場付近から南西に斜めに伸びている道があるので、その道を約1㎞直進します。周囲に民家がなくなってきて、池が多くなってくると途中で二手に分かれる道があるので、そこを左に曲がると競技場に到着します。
 市場から歩いていけない距離ではないですが、疲れると思うのでバイクタクシーが無難かな。
 宿営地は競技場の一部を使っていたようです。地図だとこのあたり。



宿営地跡に入ってみた

 まずは競技場に入ります。入口には立派な門があります。
競技場入口の門
  門にはオリンピックの五輪マークが掲げられていました。
ちょっとおかしい五輪マーク

 カンボジアってオリンピック開催されたことないけど、プノンペンのオリンピックスタジアム同様に1963年の東南アジア競技大会の開催予定地だったのかなあ。。。

 あ、でもよく見るとこの五輪マーク、ちょっとおかしい。
 普通は両端の2つの輪が隣と比べて上に上がるはずなのに、このマークは下がってます。偽物確定。
 気を取り直して中に入ろう。
だだっ広いがサッカー場は柵で囲われている

 中には中央にサッカーができるグラウンド、その周囲には陸上ができそうなトラックがあります。トラックの周りは柵で囲われています。敷地は広いけどサッカーコートは一面。観客席もなく、そのほかのところは使われていません。
一応、グラウンドです。

 トラックの周りを柵で囲われているので、柵の外からサッカーグラウンドまでは結構距離があります。ここまでしっかりしてるってのは、そこそこちゃんとした競技場だったんでしょうか。

ゴールにネットはない。これ、カンボジアの常識

 雑草が生えまくってたからもう使ってないのかなあと思って競技場敷地内に住んでいる方にお話を伺ったところ、夕方はここでよくサッカーしてる人がいるよー!とのことでした。

これが宿営地!

 さて、宿営地はそんな競技場の奥にあります。
宿営地だったところ

 20年以上の時を経て、まだその場に残っていました。見た目はごついプレハブです。
やたらと換気扇が多い?
  一階の戸は鍵も閉まってて、窓ガラスも割れていませんでしたが二階はガラスが割れたと思われるところを木で塞いでありました。放置されているならカンボジア人がそんなことをするとは思えないけど、まだ管理者がいるのでしょうか?
 鍵がかかってて中には入れなかったので、窓から中をのぞいて撮ったのがこの一枚。
宿舎の内部
自然に還ろうとしているのか

 このメインの建物の隣にもう一つ、当時のものと思われる建物がありました。こちらは仕切りのない広い空間なので、ここで作戦会議をしてたのでしょうか。
床が落ち、窓が割れ、草木が茂る

 当時の遺構としてはこの2つで、その他にジープとかあるよって投稿も見た気がしたけど、僕の目では見つかりませんでした。
 建物には全然説明もないですし、タケオ在住のカンボジア人でも若い世代だと知らない可能性がありますが、興味がある方は訪問してみてはいかがでしょうか。


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